令和7年節分祭を執り行いました
2月2日(日)節分祭を執り行いました。
当日は天気の影響で櫓が一基しかたてられませんでしたが、多くの参拝者にお越しいただき、盛大に神事を執り行うことができました。

午後一時半より本殿にて節分祭、並びに厄年男女の厄除け祈願祭を執り行い、続いて境内にて本厄の年役男女に豆まきをご奉仕いただきました。


境内ではキッチンカーの出店やセブンイレブンの恵方巻出張販売も行われ、老若男女問わず多くの方のお集まりをいただきました。

寒い中お越し頂きました皆さま、誠にありがとうございました。
―節分こぼれ話-

令和3年(2021年)以来、4年ぶりに2月2日が節分の日となった本年。節分といえば2月3日という印象が強く、違和感が拭えない方も多かったかと存じます。前回日付が動いた令和3年はたったの4年前なのですが、なんだか遠い昔のようです。さらにその前は、というと…なんと128年前の明治30年(1897年)!! ここまで不規則ですと慣れないのも納得という所ですね。
では、そもそもなぜ節分の日が変動するのか。
現代でこそ、節分といえば豆まきをしたり恵方巻を食べたり…というイメージが強いですが、節分とは本来「季節を分ける日」を意味し、「立春の前日」と定義されています。 つまりこの「立春」の日にちが動くために「節分」の日にちも動いてしまったんですね。

「立春」とは、古代中国で制定された暦であり、季節の移り変わりを表す「二十四節気」の一つ。冬が極まり、春の気配が立ち始める日とされています。同時にこの「立春」からが「新年の始まり」でもあるので、古代から特に重要視されました。
さて、「二十四節季」の暦は太陽と地球の関係を基に作られています。

ご存じの通り、地球は太陽の周りをぐるぐると回っています(これを公転といいます)が、ただ回っているわけではなく、太陽に対して約23.4度傾きながら公転しています。その為、時間の経過とともに地球上の特定の地点では太陽光の当たる量が変化し、暑かったり寒かったりします。これが季節の変化の正体です。
また、1年が365日であるのは、地球の公転周期(地球が太陽の周りを一周する時間)が約365日であることに由来しているのですが、この公転周期、厳密には365.2422日とピッタリ365日ではないんですね。実際には毎年0.2422日ずつ(時間にして約6時間ずつ)多く回ってしまいます。これによって暦とのズレが生じ、このズレの集積によって同じ日時であるにも関わらず、暦の日にちが一日単位でずれてしまうことが起こるのです(このズレに関しては「閏年」を4年に1回設定することで解消しています)。
現代の日本でもこの「二十四節季」を暦として使っていますから、現代の「立春」の日も何年かに一度は日にちが動くし、それに伴って「節分」も動くというわけです。

さて、古代中国では、季節の変わり目には邪気が入って悪いことが起こりやすいと考えられていました。その為、4つの季節の変わり目それぞれ(立春・立夏・立秋・立冬)で「追儺(ついな)」という邪気を払う儀式が行われていたそうです。一説には、この「追儺」の儀式が現在の「豆まき」の原形ともいわれています。
この習慣が平安時代に日本にも伝わり、宮中行事として取り入れられました。その後、時代と共に儀式の形も変化し、特に江戸時代以降は、「立春」の前日である2月の3日前後の日のみを節分としてお祭りするようになったようです。
ちなみに今後は4年に一度、定期的に2月2日が節分という年がやって来るようです。節分といえば2月3日という常識は少しずつ変わっていくかもしれませんね。