老津神社の由緒

祭神

正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかあつかちはやひあまのおしほみみのみこと)
天之菩卑命(あめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
多紀理毘売命(たきりびめのみこと)
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
田寸津比売命(たきつひめのみこと)
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
大山祇神(おおやまつみのかみ)

鎮座地

愛知県豊橋市老津町宮脇14番地
宮司 中村和彦

老津神社の由緒

古代、老津(旧名 大津)には、大きい神社が三社あり、
飛鳥時代(576年)に神明社を、現在の章南中学校の辺りに創建され
奈良時代の天応(てんおう)元年(781年)に、現老津町三嶋の地に三島神社を、
平安時代の天長(てんちょう)元年に近江国より勧請された八王子権現(はちおうじごんげん)
現老津神社の地に創建された。

天慶(てんぎょう)三年(940年)に、老津を伊勢神宮に寄進することを、天皇が願われ
文治(ぶんじ)元年(1185年)9月9日に神宮の神戸(神宮の所領)にすることを、
朝廷は諸国に通達をした。
(神宮文庫所蔵「皇大神宮建久己下(こうだいじんぐうけんきゅうつちのとのげ)古文書」より)

このため、建久(けんきゅう)三年(1192年)に、伊勢中村の地より中村氏が着任した。
(中村宮司家の始まり)

されど、当時は貴族社会から武家社会の転換期で社会が乱れ、ここ老津も例外ではなく、
鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡(あづまかがみ)」には、建久(けんきゅう)十年(1199年)
三月二十三日の条に、二代将軍 源頼家(みなもとのよりいえ)の宿敵であった
地頭職(じとうしょく)(幕府の荘園管理職)の派遣を止めたことが書かれている。

その後も神宮の神領として統治され、南北朝時代の、延文(えんぶん)五年(1360年)頃に
書かれた「神鳳鈔(じんぼうしょう)」(伊勢神宮の神領について書いた本 神宮文庫所蔵)に、
「二宮(内宮と下宮)前祭主御知行 七条院御祈祷所 新封戸大津神社」と、記載されている。
七条院とは高倉天皇の典侍(ないしのすけ)(宮中賢所の女次官)の
藤原殖子(ふじわらますこ)のことで、天皇の病気平癒か平家滅亡祈願の御礼で
神宮に寄進された神領である事を記している

江戸時代に入り、慶長(けいちょう)六年(1601年)に城主 戸田金左ェ門(とだかねざえもん)
が、御供田十石を、同年 伊那備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)より黒印九石
寄せられ、慶安(けいあん)元年(1648年)以降は、幕府より朱印九石が寄せられた

明治二年(1869年)に神仏分離令により、八王子権現から八所社と改称し、
明治七年(1874年)に 八所社は、村社に指定され、明治四十三年(1910年)
三島と神明 両社を八所社を合祀し、老津神社と改称され現在に至る。

記事

記事

 

老津神社には多くの神様が祀られております。
殆どが、天照大御神の子供と 素戔嗚尊の子供です。

古事記を紐解きますと、伊邪那技の禊からできた子供達が

天照大御神 月夜見の命 素戔嗚尊であり

それぞれ、天照大御神には高天原(タカマガハラ)を
月夜見には、夜の食国(おすくに) 素戔嗚尊には海原を治めさせようとしたが

素戔嗚尊は、母の伊邪那美が恋しくて泣きわめいていただけなので、伊邪那技が呆れて
伊邪那美の元へ(黄泉の国)行くように伝えると、素戔嗚尊は、喜んで向かったそうです。
その途中で、天照大御神に挨拶をしてからと思い 立ち寄ろうとした所

天照大御神は、勘違いをして、素戔嗚尊が攻めてきたと思い戦の準備をしていた。

そんな事とは、知らずに素戔嗚尊は天照大御神に会いに来たのだが、戦意が無い事を表明する為に
子供を産んで誓約(占い)する事にした。

場所は、天の安河(あめのやすのかわ) 先ずは、天照大御神が素戔嗚尊の剣を 三つに折 それをバリバリと食べ
天の真名井(あめのまない)の水を口に含むと 霧状に吹き出した先にできたのが

多紀理毘売命(たきりびめのみこと)
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
田寸津比売命(たきつひめのみこと)

ついで、素戔嗚尊が 天照大御神のいろいろな場所の勾玉を、天の真名井(あめのまない)で
洗い口に含み霧状に吹き出すと

正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかあつかちはやひあまのおしほみみのみこと)
天之菩卑命(あめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)

が生まれたそうです。

これで身の潔白を証明した素戔嗚尊は、調子に乗って高天原(タカマガハラ)で、暴れまくり
天照大御神が天の岩戸に立て籠もる・・・と言う、有名な話へと続きます。

 

最後に 大山祇神(おおやまつみのかみ)は 伊邪那岐と伊邪那美の間にできた子供で
素戔嗚尊の嫁 奇稲田姫(くしなだひめ)の 祖父にあたる神様の様です。

 

※神様の表記は 日本書紀を元にしております。

氏子青年会

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