笹踊り

老津神社 笹踊りとは・・・・


老津神社例大祭の目玉の一つである神事であり
老津の男衆が3人、一カ月半~3カ月 厳しい練習を行い
例大祭奉納へと仕上げて行き
各出身部落の集会所と、老津神社の神前に奉納する。

 

老津神社 笹踊りの歌(天王社 祭礼の唄)


1.
天王とーと申するは
日本一の荒神だ
サーゲンジモヤ ソレソレソレ

2.
安養寺の縁の下
いたちのせがれが十二匹
サーゲンジモヤ ソレソレソレ

3.
三河の名所と申するは
八橋寺のかきつばた
サーゲンジモヤ ソレソレソレ

4.
姫島沖を出て見れば
沖の小島につんながれ
サーゲンジモヤ ソレソレソレ

5.
新居、橋本、汐見坂
名所の花を眺むれば
サーゲンジモヤ ソレソレソレ

※祭礼の唄中で「天王」とあるのは、老津天王社の神の事を指しております。

老津神社 笹踊りの伝統・由来


老津村史より

笹踊り
京都の八坂神社、広島の沼名前神社、尾張の津島神社を始め
素戔嗚命奉斎の神社では祇園祭り
或いは 津島祭といって何れも真夏の候に祭りを行う。

これは御祭神素戔嗚命が疫病除の神として崇められることから
流行病の多い夏に行うので、素戔嗚社の祭りも旧八月十五日が例祭で
その宵祭である十四日の夜煙火を奉納する。(旧暦 八月十五日)

この時笹踊という古風な踊りがあるがその濫觴は不明である。
殆ど東三河だけのようであるが宝飯郡の神社の最も多い。(当時の情報です。)

笹付竹に白張提灯を吊るし先に立って進むから笹踊りの名称が出来たという説もある。
この笹竹に提灯を吊るして奉納する事はおおいに意味のある事で、
この笹竹に神が降り給うと考えられ提灯の光はその神霊の御光であり、
神のシンボルとみられるのである。

一人の大太鼓が胸間の太鼓を打ちつつ周囲の警護が唱える歌につれて
或は三つ巴になって飛び違い或は小太鼓両人の間を大太鼓が通過して位置をかえ、
或は足をあげ上体を屈し飛び跳ねる如くして位置をかえる等勇壮な踊りで
力足を踏む事を反閇(へんばい)という。

この反閇という事が一番大切な事で、悪魔や枉神(まがかみ)を
地中におさえ込み踏み込む意味がある。

このようにただのお踊りでないことから火垢離(ひこり)・水垢離(みずごり)を
とって奉仕したものである。

煙火も若い衆が製造したものであった。この祭りを中心として若い衆制度が(老津の)
できたっものと思われる。

なおまたこの祭に向田より(老津の地域名)神楽と称する獅子舞を奉納して
悪魔祓いの舞をしたが明治の始め頃から行われなくなった。
(笹踊りとは別に、天王社に獅子舞も奉納していたが、無くなり、
今は向田より子供神輿が老津神社に奉納されています。)

 
笹踊りの謎?(氏子青年会見解)

Q.昔は、特定地域の若い衆(長男のみ)のみが笹踊りを踊る事が許された訳は?

A.
老津は、明治9年 北大津 南大津 森崎 新田が合併して老津村となった。
当初は、豊橋に属さず 渥美郡老津村っであった。

昔の大津村は 漁業も養魚も盛んに行われていた。
「三河国大津名蹤綜禄」には 23の島々があり
その中で老津に一番関係の深かったのが、大津島であったと記されている。
そして、その海を守る様に天王社があった。

しかし、昭和44年に三河湾用地造成工事計画により
大津島や入江は、明海工業団地へと変貌した。
それと同時期に天王社は、老津神社と合併した。

※その関係で 昔は、天王社での祭事(笹踊り等)は、付近の
中尾・森崎(地域名)の若い衆が踊ったと思われる。

Q.老津の笹踊りの始まりは?

A.
大津の笹踊りの始まりは、諸説あるが 老津村史を見る限り明治以前より
行われていたようです。
また、他神社の多くの笹踊りは 朝鮮調通信使の影響で始まったとされる
1607年~1811年の間に始まってる為に、その間に始まったとも予想できる。
その他にも、吉田神社の祭りを習ったともあるが文献などの詳細はない。

Q.笹踊りの恰好は、どこから来たのか?

A.
笹踊りの恰好をみると、全体的は確かに朝鮮通信使の恰好に似てるが(唐人さんの家へ
服の色や お面が赤いのは、素戔嗚命(牛頭天王)の恰好を真似たのではないかと
思われる。(牛頭天王のイメージとしては、閻魔大王の側近の牛頭の赤い鬼である。)

そう思うと 天王社系列の笹踊りは赤系統が多いように思われるが、
ではなぜ、老津神社の笹踊りは紫の衣装も着ているのかは謎である。
予想として、老津村史を見る限り崇高な踊りとされている為に、
位の高い衣装として紫の衣装も纏ったとも思える。

Q.笹踊りの名前の由来?

A.
笹踊りの名称の由来も諸説あります。
朝鮮語で三人戯が訛って ささおどりになった説(牛久保若葉祭り
笹の小枝を胸元に入れて踊るから笹踊りとなった説
(老津神社は、笹竹を持つので笹踊りとなったとされている)など

いろいろありますが、笹に抗菌作用があり(昔のおにぎりなどは笹の葉に包んで保存した)
素戔嗚命(牛頭天皇)が厄病除けの神と崇められた事から、抗菌作用のある笹使用し
笹踊りとなったとされたと思われる説も面白いと思う。

Q.笹踊りの唄が意味不明

A.
老津神社特有の祭礼の唄であるが
老津の名所・船乗りの唄などが唄われている。その中で

「サーゲンジモヤ」

と、言う意味不明な言葉が出てくる。
老津の昔話の中で 徳川家康が太平寺(老津のお寺)に逃げ込んだ説(横山光輝著)や
武田信玄の軍資金が眠ってる説とか いろいろ風説があるが
源氏の(源頼朝)話は聞いたことが無い

その為、源頼朝と関係の深い吉田神社由来の踊りでは無いかと言う説もあるが、
もしかしたら、昔の人が海が時化ていた時に、「源氏靄(げんじもや)」と言う独特の老津語
(その他にも 藻蟹をガンツーとか 牛蛙をショックウとか言う)で、あった可能性もある。

 

参考文献 老津村史・豊橋校区史・老津聞きかじり物語

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例大祭29

  平成29年 10月7日 土曜日に 老津神社例大祭を開催致します。 当日は、AM10:00より 老・・・

老津神社笹踊りの記事を、中日新聞・東愛知新聞に掲載して頂きました。

平成28年 10月1日(土)老津神社例大祭のご案内

2014年笹踊りのお知らせ

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